テレビ朝日開局65周年記念ドラマとして放送された「終わりに見た街」!
現代から太平洋戦争真っ只中の昭和19年にタイムスリップした田宮太一(大泉洋)とその家族を描いた物語です。
衝撃的なラストシーンや心打たれるシーンも多くあったドラマでしたが、
終わりに見た街はどんな結末を迎え、どんなことを訴えたかったのでしょうか?
そこで、今回は終わりに見た街について、
- 終わりに見た街の結末は?
- 終わりに見た街の考察!
- 終わりに見た街のラストに込められた意味は?
などについてまとめていきます!
終わりに見た街の結末は?
⏰キャスト解禁⏰#大泉洋 × #宮藤官九郎 初タッグ#山田太一 原作「#終りに見た街」の
追加キャストが解禁!#吉田羊#奥智哉 #當真あみ#今泉雄土哉#勝地涼#三田佳子#堤真一更に特別出演で#神木隆之介#田辺誠一#塚本高史#西田敏行#橋爪功
9月21日(土)よる9時放送に決定!
乞うご期待! pic.twitter.com/kfdgKzFrAY— テレ朝開局65周年「終りに見た街」大泉洋×宮藤官九郎 9.21放送! (@ex5dpremiu66555) August 14, 2024
終わりに見た街の結末は主人公である作家の太一が現代に戻るものの、全てが破壊されている「終わりの街」をみながら亡くなっていく姿が描かれていました。
最後を簡潔にまとめると、
昭和19年にタイムスリップしていた太一。
なんとか戦時中の世界を生きていく中で、何者かの視線を常々感じていました。
太一は戦時中を生きていた母親の日記を頼りになんとか生き延び、
さらには日本国民を守ろうとする。
そんな中、母の日記にはない時間に空襲警報が。
太一は家族を連れて逃げていると、ずっと感じていた目線を再び感じます。
それはプロデューサーの寺本と同じ視線だった。
太一は追いかけるものの、顔を見てみると全くの人違いで…。
すると、空襲が太一を襲う。
太一が目を覚ますとスマホの通知音が。
左腕を失い、瀕死の状態になりながらも辺りを見渡すと、
瓦礫にまみれ、何もかもが壊されている世界が。
必死に子供たちを探すものの、誰に返事もなく。
傍にあるスマホを見ると、寺本のSNSには快適な生活が。
ショックを受けながらも太一は横で息絶えてしまいそうな男性のうめき声を耳に。
太一は
「今何年ですか?昭和20年ですか?8月ですか?」
と聞くと
「2020」
と答え、男性は息を引き取ってしまいます。
2020年ということに太一はショックを受け、息を引き取っていきます。
です。
衝撃的なラストシーンだったね…
戦争の悲惨さを物語っており、非常に考えさせられるラストシーンでした。
終わりに見た街の考察!
⏰ついに予告解禁⏰
皆さまお待たせ致しました!🙇#終りに見た街 予告が完成しました!
昭和にタイムスリップして #ポツンと一軒家 😥#山田太一 の名作ドラマが#宮藤官九郎 の手で令和に蘇る!#大泉洋 × #吉田羊 × #堤真一 で贈る超大作!
9月21日(土)よる9時放送! pic.twitter.com/o0moc0Khje— テレ朝開局65周年「終りに見た街」大泉洋×宮藤官九郎 9.21放送! (@ex5dpremiu66555) September 9, 2024
では、「終わりに見た街」は何を訴えたかったのでしょうか?
個人的に訴えたかったことは戦争の悲惨さと、戦争が人ごとではないということだと思われます。
その中で個人的にドラマ内で気になったのは
です。
太一が「終戦80周年記念スペシャルドラマ」の脚本を渋々受け入れたこと
このシーンには物語の戦争と実際の戦争のギャップを描くためのものだと感じました。
ドラマの冒頭、太一はプロデューサーの寺本から「終戦80周年記念スペシャルドラマ」の脚本を無茶振りで渋々引き受けていました。
そこから太一は戦争の資料などを読み、脚本に着手していきます。
しかし、のちに実際に自ら戦争を経験し、その非情さを感じていくこととなったのでした。
太一は簡単に戦争ドラマの脚本を引き受けていましたが、
戦争を描くのはそんなに軽々しいことでないということを言いたかったのだと思われます。
現代を生きる人たちがドラマなので見ている戦争と、実際の戦争では雲泥の差があり、
実際の戦争では綺麗事が通じないということを訴えたかったと思われます。
戦争を経験していない世代が軽々しく戦争について語ってはいけないと言われているようにも感じました。
戦時中にタイムスリップしてしまった理由
戦時中にタイムスリップしてしまったのには戦争の残酷さを描くためだと思われます。
「終わりに見た街」では今までの戦争ドラマなどよりもよりリアルに戦時中の偏った教育・指針・生活が描かれていたように思います。
日本は幸せなことに第二次世界大戦後、戦争は起きておらず平和な世界を送っています。
しかし、その一方で世界のどこかでは今日も戦争が行われています。
現在はネットでその戦争の悲惨さを簡単に目にすることができますが、
そんな出来事が過去には日本でも起こっていたということを描きたかったのだと思います。
食事は配給、子供も仕事に行かなければならない、
そんな悲惨で辛い時代を日本も経験していたことを改めて訴えたかったのだと推測します。
それと共に、今の平和な世界で生きていることがどれだけ幸せか?というのも訴えたかったのでしょう。
太一と小島敏夫の子供たちの心変わり
個人的に一番印象的だったのは、太一の子供たちと、一緒にタイムスリップしてきた小島敏夫の息子・新也の心変わりでした。
最初は現実を受け入れることができず、時代に馴染めなかった子供たち。
しかし、戦争が進んでいくにつれて戦争に文句を言っている太一や敏夫に対して嫌悪感を抱き、
最後には自ら戦いたいと奮い立っていたのでした。
日本は戦争に負けたという事実をひっくり返し、新たな時代を作りたいとも語っていました。
「勝った方が正義だ」
という言葉を放つほどです。
このシーンでは憎しみからは何も生まれないということを言いたかったのかな?と推測します。
自分たちの置かれている場所が変わったことで、考えが変わってしまっていった新也たち。
この時代の反米教育などが原因で考えが変わってしまったのでしょう。
米軍に対する嫌悪感を世間が植え付けたことで、段々と米軍が憎くなっていき、
憎しみによって感情的に行動しているように見えました。
ただドラマの最後から見ても分かる通り、実際に世界を変えることはできていませんでした。
憎しみからは何も生まれない、憎しみから争いあってはダメだと訴えたかったのではないでしょうか。
そして太一の戦争を反対する気持ちから、
絶対に戦争を再び起こしてはいけないというメッセージも送っているように見えました。
ドラマ全てを通して「戦争を再び起こしてはならない」というメッセージが詰め込まれているようだたね
終わりに見た街のラストに込められた意味は?
では、「終わりに見た街」のラストに込められた意味とは一体なんでしょう?
個人的には
- 戦争への危機感への訴えかけ
- 平和への祈り
- 現実世界を生きる大切さ
だと思われます。
戦争への危機感への訴えかけ
まずこのドラマの根本として戦争の無意味さ、そして明日は我が身だということを訴えたかったように思います。
ラストシーンで太一は2020年に再びタイムスリップしており、そこで無惨になった東京を目にしたまま亡くなっていきました。
あの映像から2020年に東京で戦争が起こった街が描かれていると思われます。
その前に太一がタイムスリップしていた昭和19年は終戦を迎えた昭和20年を翌年に控えた世界でした。
太一は母の日記を頼りに人々を助けようと奮闘したものの、太一が昭和19年で迎えた最期の日は日記にはない時間に空襲が起こったのでした。
このシーンで実際の歴史が変わったということを示唆していると思われます。
そして再びラストシーンに戻って考えると、歴史が変わったことで終戦を迎えることなく、戦争は2020年まで続いていた世界線を描いているのだと思われます。
このことから、少し歴史が違えば、現在も戦時中であった可能性があるということを言いたかったのだと思われます。
その裏を返せば、いつどこで戦争が起こってもおかしくないということです。
つまり戦争は過去のものではなく、今日本で起こってもおかしくないということを言いたかったのでしょう。
平和への祈り
そして平和への祈りも描かれていたと思われます。
ラストシーンで太一の母親・田宮清子が幼い頃の姿で幻のように現れていました。
そして、太一は戦争で倒れている中、清子は笑顔で初恋の人・俊彦におんぶされていました。
その顔はどことなく希望に満ちているように見受けられました。
一度太一を見たものの止まらずに歩みを進める姿は、
未来への希望も表しているのではないかな?と推測します。
清子たちの姿が現在の日本を表しており、
今の幸せな世界が未来永劫続きますようにという意味で歩んでいるように見えました。
過去の大きな犠牲があったことで、今自分達が幸せに生きていられるということも言いたかったのかもしれません。
現実世界を生きる大切さ
そしてラストシーンでは清子をおんぶしていた俊彦がスマホを踏みつけるシーンもありましたが、そこでは現実世界の目を向けろと言っているようでした。
2020年に再び戻ってきた太一はスマホを持っており、そこではシェルターに避難していた寺本がワインを飲みながらライブ配信を行っていました。
しかし誰も見ておらず、一人相撲を行なっているようでした。
このシーンにも権力者と一般市民の差への社会的風刺も描かれているように見えました。
そんなスマホをふみつけ、歩みを進める俊彦と清子の姿に現実世界の方が大切だということを描いているようにも見えました。
SNSを中心にネットが発達し、フォロワーやライクなどを求めることに必死になっている人が多い中で、
「ネットで見ているものが全てではない。現実世界にもっと目を向けよう」
とネットよりも現実世界にもっと目を向けて生きようと言っているようでした。
ネット上で経験した気になるだけではなく、実際に自分の目で見て経験することの大切さも謳っているように思えました。
まとめ
今回は終わりに見た街の結末のネタバレや考察、そしてラストに込められた意味についてまとめてきました。
終わりに見た街には非常に様々なメッセージが組み込まれており、
その中で人それぞれの受け取り方ができるドラマのように思いました。
「終わりに見た街」では戦争の悲惨さと戦争は人ごとではないということを訴えたかったのだと個人的には推測しました。
戦争は人ごとと思うことはやめようというメッセージがあるように思えました。
さらにドラマのラストシーンでは
- 戦争への危機感への訴えかけ
- 平和への祈り
- 現実世界を生きる大切さ
のようなことが描かれているように感じました。
とても考えさせられるドラマ「終わりに見た街」。
戦争に対する考えを改めさせてくれる作品なので、ぜひ一度見て見ましょう。
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